『Humankind - 希望の歴史』 ルトガー・ブレグマン著、野中香方子訳

とてもよかったので久しぶりにレビューを書いてみる。これまで聞いていたいろいろなことをくつがえされた。似たようなテーマで、『暴力の人類史』(ピンカー)にも感動したが、それとセットでおすすめ。

 

著者はオランダのジャーナリスト。本書では人間の本性を明らかにしようという野心的な取り組みをしている。刊行時(2020年)若干32歳。すごい。

 

『蠅の王』

まず第二章の『蠅の王』の話でガツンとやられる。

『蠅の王』は1951年にウィリアム・ゴールディングによって書かれ、数千万部を売り上げたベストセラーだ。この話はぼくも昔読んだが、少年たちが無人島に漂流して、だんだん残虐な行為をするようになるというもの。あまり読後感がよろしくなく、個人的には好きな話ではないのだが、世の中的には傑作とされていて、著者はノーベル賞を受賞した。凄惨な第二次世界大戦のあと、人々が「人間は邪悪な生き物だ」と感じていた時代にフィットしたそうだ。

 

著者は「本当に子どものグループが無人島に漂流したらどういうことが起こるのだろう」と疑問を抱き、これがすごいのだが、ついに実例を発見する。このくだりがすごく面白いのだがはしょって結果だけを書くと、1966年にトンガの少年たちが無人島に漂流し、一年以上孤立したのちに発見・救助されたという事件だ。著者は、オーストラリアまで関係者に会いに行く。(オーストラリアとトンガは隣り合っていて、生存者の一人と救助者はオーストラリアに住んでいる)。いろいろ調べてわかったことは、『蠅の王』みたいなことは全く起こっておらず、少年たちは1年以上、平和に暮らしていたということだ。この件は少年たちが発見された当時、テレビ番組にとりあげられそうになったのだが、局のクルーが撮影した映像の質がひどくてお蔵入りになり、以降映像化されていないとのこと。そんなのをよく突き止めましたね。

 

監獄実験

似たような話で、「監獄実験」というのがある。1971年、スタンフォード大学で行われた実験で、協力者の学生を、看守と囚人に分け生活をさせると自然と権力を持った看守が残虐行為を開始するというもの。これはぼくも聞いたことがあり、映画も見た。(esという映画で、これも後味が悪くあまり好きではない)。この実験は長らく人間の本性をあらわす画期的な実験としてもてはやされていたのだが、最近になって検証した人によるとでたらめなものだったようだ。2018年にそういう趣旨の論文が業界誌にも掲載されているそう。ジンバルドという研究者が設計した実験なのだが、この方、こういう結果を出したかったのが見え見えで(※仮説を立てることは悪いことではないと思うけど捏造はいけない)、攻撃的な学生を看守側にひそませて、なるべく残虐なことをするように誘導していた。残虐なルールのうち(例えば夜中に二回点呼され起こされるとか)半数以上はこの助手の発案だったとのこと。

 

ということがあったにもかかわらず、ブレグマンによれば、この実験はいまでも心理学の教科書に載っているとのこと。

 

イースター島

イースター島の島民たちが、ばかみたいに木を伐りすぎて絶滅したという説はジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』で読んで知っていた。でもブレグマンの検証によると、これは奴隷商人と疫病のせいだったとのこと。人間はそこまでおろかではない。

 

服従の実験

1962年に行われたミルグラムの実験で、人はどれだけ権威に服従するのか、というのがある。協力者を電気椅子に座らせて、何も知らない被験者に「この椅子の上の人(悪い生徒と説明されている)には治療が必要なので、電気を与えてください」と命令する。それで人はどこまで電気を与えるのか、というもの。65%もの被験者が死の危険があると説明されているにもかかわらず最高電圧の450ボルトまで上げたという。この話もいろいろなところで聞いて知っていた。が、これもブレグマンによるとよくよく細部を検証すると印象が変わるという。まず、被験者のうち、56%は椅子の上の人が苦しんでいる様子は演技だと思っていたと。電気ショックを本物だと思った人の大半はスイッチを押すのをやめていた。また、電気ショックのスイッチをおすためには、ミルグラムのチームはかなり強く被験者に対して「おさないとだめです」「椅子の上の生徒のためなんです(よいことをしているのです)」と指示を出していた。こういう前提が説明されず、実験の印象が操作されている。

 

この実験と同じタイミングで、ナチスのアイヒマンの裁判がエルサレムで開かれており、話題となっていた。ハンナ・アーレントが傍聴し、「悪の凡庸さ」と呼んだものだ。「普通の凡庸な人間が悪に染まってしまう」ということで、ミルグラムの実験結果と符合した。ミルグラムもユダヤ人であり、国際的なこの議論の風潮に影響を受けたであろうとのこと。

 

等々、これまでに知っていたことをくつがえされた。

 

本書の冒頭、一章にあるのだが、人間は他人を邪悪だと思いがちだし、ニュースは悪い事件ほどセンセーショナルに取り上げがちだ。二回にわたる世界大戦とそれに続く冷戦は、そういう思い込みや報道傾向に拍車をかけたのであろう。そもそもジャーナリズムというのが歴史的には短い期間しか存在していない。なので、特に冷戦が終わり、世の中が確実によくなっている(貧困が減り、死亡率も下がり、戦争や殺人で死ぬ人は減っている)状況にジャーナリズムは適応できていないのであろう。オランダの社会学者のチームが調査したところによると、以下のことが分かったそうだ:

 

1991年から2005年までの間に、飛行事故は一貫して減少し、一方、事故に対するメディアの関心は一貫して高まった。その結果、あなたもお察しの通り、飛行機は安全になっているにもかかわらず、人々は飛行機に乗ることを次第に恐れるようになった。(上巻p.36)

 

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ということで、上巻はこういう感じで、「人間は文明の皮をかぶっているが一皮むくと邪悪な生き物である」というという考えを丁寧に検証し、反証していく。このプロセスがとても心地よい。定説によりかからず、疑念を抱き検証するという地道な知的な試みに感動を覚える。

 

で、下巻は、残る疑問、「ではなぜ人間は時に残酷になれるのか」という問いに答えようとする。これはまだ消化不良のところがあるが要約すると筆者の考えは以下の通り。

 

しかし、一万年前に問題が発生した。

人間が一か所に定住し、私有財産を蓄えるようになった時から、集団本能は無害ではなくなった。(※知っている集団の間では人は友好的にふるまうというもの) 資源が限られていることと階層性とが結びついて、それは急に毒を帯び始めた。そして、ひとたびリーダーが軍隊を育てて思い通りに動かすようになると、権力の腐敗は歯止めがきかなくなった。

農民と戦士、都市と国家からなるこの新しい世界で、わたしたちは他者への共感と外国人恐怖症との板挟みになり、多くは自らの集団への帰属意識を優先して、アウトサイダーを排斥した。この世界でリーダーの命令に背くのは難しかった。たとえその命令がわたしたちに歴史上の間違った道を歩ませることになるとしても。(下巻 p.63)

 

つまり、「人間は個々人では善良」「限られた知っている人たちの集団の中では善良」だけども、「大きな集団で権力者が出てくると悪いことをする」ということになる。現代社会において、大きな集団が形成されることは避けられないし、一定の権力を施政者が持つことは避けられないのだが、これに対する処方箋はまだややぬるいところがある(端的に言えば無政府主義的なことを著者は言っている)。会社の例とかで、すべて従業員の自主性に任せる会社(オランダのビュートゾルフ社)が成長しており、賞賛されている例とか。これは考えとして「あり」だが、果たしてあらゆる会社でそういうことが起こるかどうか。そういうやり方で成功した会社だけが目立つ、生存者バイアスがあるかもしれない。

 

個々人の自主性と、企業や行政組織のパフォーマンスは興味深い分野で、今後もいろいろおもしろい著作が出てくることを期待したい。

 

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