『どつぼ超然』

最近読んで感心したもの。

町田康『どつぼ超然』
まだ読み途中なのだけど。この人はやっぱり天才だな。だいたい小説家っていうのは、脱力した文章を書く、夏目漱石的な系譜と、シリアスな一派がある。どちらかというと後者が本流なのだけど、前者の方がぼくは7-3くらいで好きで、前者の代表が、町田康、高橋源一郎、伊坂幸太郎、あたりだろう。

やたらシリアスな小説を書く島崎藤村みたいなのの影響で、日本の小説がつまらなくなったと誰かが書いていた(気がする)。

で、『どつぼ超然』。真剣に、脱力しまくっていて、すごい。<余はなにゆえにこのようなところを歩いているのだろうか。余はなにゆえ生きているのだろうか。実際の話、お紺とはなんなのか。(※この語り手が歩いてて出会った銅像の名前) なぜあんなに顔がでかいのか。わからない。なにひとつわからない。
けれども余はそれでよいと思う。わからないからといってはっちゃきになって文献を渉猟、実際にお紺がなんなのかを解明してなにになるのか。なににもならない。そんなことをしても心が寒くなるだけだ。そして今度は半吉について調べたくなるのだ。(※お紺の隣にいた銅像の名前)
中略)
そもそも、人生というのは不可思議なものだし、宇宙というのも不可思議なものだ。それを小さな理解の中に閉じ込めるのではなくして、大きな謎としてごろんと転がしておく。謎が謎であることをいちいち不安に思ったりせず、ただ善哉(よきかな)を叫ぶ。そして、おもむろにぜんざいと塩昆布を用意し、それを道行く人やメジロに振舞う。
もちろん、メジロがぜんざいを食べる訳ではないが、そんなことも含めての超然主義ということだ。>

何が言いたいのかよく分かるが、メジロとかお紺とかが意味不明で、シュール。でも、それも含めて、不可思議なものをほっておく、という読み方を読者に許すこの姿勢がよい。みょうちくりんだが、元気をもらえる。

どつぼ超然 (河出文庫)

どつぼ超然 (河出文庫)