『ゼロ金利との戦い』 植田和男

ゼロ金利との闘い―日銀の金融政策を総括する

ゼロ金利との闘い―日銀の金融政策を総括する

元日本銀行審議委員が書いた一冊。著者は1998年から2004年まで、速水総裁、福井総裁のもとで審議委員を務めた。ちょうどゼロ金利政策とか量的緩和政策を日銀が採用して、それをいつ解除するかとかそういう議論が起こっていた時期である。当時から現在に至るまで、流動性の罠にはまった経済に対する処方箋についてはいろいろな議論があるが、著者によれば、

<日銀の中にいた著者などの眼から見ると、学会と日銀のコミュニケーションは、この間必ずしも万全とはいえず、お互いに反目するような局面もみられた。その中で、結果的に両者がほぼ同様の結論に到達したことは興味深い。> (p.75)

ということである。ふーん、そうだったのか。例えば著者によれば、クルーグマンの提案と日銀が採用した政策は実質的に同じとのことである(本書では「時間軸政策」)。ではその成果は?というと調子が悪い。

<前章までに見たように、日銀の1990年代後半から最近までのさまざまな金融緩和政策は、ある程度の経済刺激ないし下支え効果を発揮したと見られるが、残念ながら一般物価デフレを短期間で収束させるには至らなかった。[……]
1990年前後を境に日本経済は金融面だけではなく実物面も長い調整の過程に入り、デフレもその過程で、あるいはその結果として発生した。デフレを食い止めるための金融緩和策は、金融システムを通じて実体経済を刺激するものである。しかし、すでに述べたように、この金融システムが調整の過程で大きく傷ついていた。金利は極限まで低下したが、その経済刺激効果は弱体化した金融システムによって薄められ、利潤率ないし自然利子率の長期低迷にあえいでいた実体経済を立ち直らせるには至らなかった。> (p. 139)

ということで、日銀はやれることはやったんだけど、「金融システム」がだめだったそうだ。

<本書でも論じたように、日本経済の停滞を長く深刻なものにし、その後の金融政策を難しくしたのは1997-98年の金融危機である。この危機の後では、その後の混乱、困難は多かれ少なかれ不可避だったようにおもえる。ではどうすれば危機は防げたのか。明らかな点は、1992-96年のどこかで抜本的な金融システム対策を実施するべきだったということである。どうしてできなかったのか、これは政治経済学的にきわめて興味深いテーマだが、類書もあることなのでここでの深入りは避けたい。> (p. 188)

淡々と当時起こった事実を述べているという点で好感が持てる一冊だが、当時の金融政策の担当者の一人として、「抜本的な金融システム対策」ってどうあるべきなのか、考えを聞きたかった。「1992-96年」からもう15年くらい経っているよ。んで何も変わっていないんじゃないか。しかしそんなに日本の金融システムってだめなのかなあ。