高山宏『近代文化史入門 - 超英文学講義』

近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)

近代文化史入門 超英文学講義 (講談社学術文庫)

大学の英文科の大先輩ですね。いろいろ聞くとどうも異端だけどすんごい学者のようなので一冊読んでみようと思って購入。

英文学史上で一番有名なのは何と言ってもシェイクスピアである。彼は17世紀に活躍した。同じく17世紀のあいだに、シェイクスピア没後にイギリスはニュートンを輩出した。著者によれば、ニュートンがシェイクスピア以後の文学に決定的な影響を与えたと言う。

シェイクスピアが書いていたのは戯曲で、しかもこれはもともと各役者にそれぞれの台詞を渡しただけのものだったから、通したかたちで読まれることを想定していなかった。もともと固定したテクストという概念が薄い。その上、解釈も開かれている。簡潔だがその分多義的(アンビギュアス)なのである。そのあとにニュートンが登場した。彼は『光学』という本を出して(これは当時のベストセラーになったらしい)、世間の人の、「光」の見方に決定的な影響を与えた。なぜものが赤く見えたり緑に見えたりするのか、そういう説明を『光学』が与えた。ニュートンは王立科学になったが、王立協会は言葉の緻密で厳密な定義などもその生業にしていた。そういう影響も受けて、文学者は、「自分もそういう緻密なテキストがかける」と張り切って、いろいろなものを非多義的に長々と描写するようになった。別に筆者はそんな書き方はしていないが、詩的表現から工学・光学的表現が増えた。

ものの見え方というのは、結構時代ごとに違うというのは当たり前のことだが、著者はその決定的な変化がニュートン前後で起こったことを、その前後の文学テクストを読みといて説明する。このあたりの説明はおもしろい。実際に文体が違うもんね。もしかすると、ニュートンクラスの変化が21世紀の今にも起こっているのかもしれない。

けど、著者がはしゃぎすぎで、ひく。<シェイクスピアを初めとするあいまいさが豊かだった時代が1660年代に滅び、ニュートンに「毒された」まったく別の英文学になってしまう。こうして十七世紀英文学の流れを一世紀通してトータルに論じるには、ぜひともマニエリスムと普遍言語の研究が必要だ。王立協会の研究が必要だ。
そのための基本書たるジェイムズ・ノウルソンの『英仏普遍言語計画』も、マリナ・ヤグェーロの『言語の夢想者』もぼくのプロデュースで日本語にした。変わったことしてますねという反応だった。それがたとえばウンベルト・エーコの『完全言語の探求』邦訳が出てやっと常識になったのである。> (p. 100)

うーん、おもしろい着想かもしれないけど、まだ常識になっていないよね。少なくともわたくしが大学で英文学史の授業とったときは高橋和久大先生はこんなこと言ってなかったな。

こんな調子でそこかしこに自慢が出てきてげんなりする。あのね、常識かどうかとか、おもしろいかどうかは読者が決めることだからね。実際に、このシェイクスピアとニュートンの話の先は、あんまり重箱の隅をつつくような話ばかりでおもしろくない。そういう手前味噌で閉鎖的態度が英文学離れを招くのではないかと。超英文学は流行らないな。英文学も流行っていないけど。