ヒックス『経済史の理論』

経済史の理論 (講談社学術文庫)

経済史の理論 (講談社学術文庫)

300ページほどの比較的短い一冊であるが(しかりなんで経済学の本って長いのが多いのだろうか)、古代の市場の勃興から、産業革命までの人類の歴史を扱っている、野心的な一作である。訳者解説によれば、著者の自信作の一つであるそうだ。

「市場って何?」「経済ってなに?」「産業革命ってなに?」という、実は世の中の人が答えられない疑問に正面から答えようとしている。特に感銘を受けたのは、「産業革命」と題された九章。<純粋の商人の場合は買入れるものと売るものが物理的に同一の形態であるが、職人は買ったものを形を変えて売っている。職人と商人の違いはこれだけである。取扱う素材に「労働を加える」ということについては、商人もまた買入れたものよりも売るものに、より高い価値をもたせようとして、「労働を加える」(かれが雇っている事務員や倉庫係の労働を含めて)---つまり、顧客はより効用のある時と場所で商品を手に入れることができるから、その商品はより高い価値をもつことになるのである。このように経済的には手工業と商業とはまったく一致している。>(pp. 238-39)

この件についてはいろんな人がいろんなことを言っているが、ここまでシンプルに分かりやすく説明してもらったことはなかったね。しかし、商業と工業を分ける要素が一つあるという。<しかしながら、今日では工業と商業が完全には一致しない点が一つある。(…)商人の資本は主として運転資本、ないしは流動資本---回転される資本---である。(…)工業が手工業段階にとどまるかぎり、手工業者や職人の地位は商人のそれとそれほど異ならなかった。たしかにかれは道具をもっていたけれども、かれが使用する道具は、必ずしも高価なものではなかった。(…)固定資本が中心的地位を占めたとき、あるいはしめはじめたとき、まさに「革命」が起こるのである。>(pp. 239-40)

経済学では定説なのかもしれないが、ぼくがこれまで読んだ本の中では、こんなクリアカットで説得力のある説明に出会ったことはなかったなあ。それで、著者の説明は、当然のごとく、長期の資本の調達が容易になってきていた、当時の金融環境について触れ、産業革命の背景について説明している。当たり前のことではあるが、大きな機械(まさに「固定の」資本)を使って大工業を行おうと思ったら大きな資金が必要となる。本書に書いてあるわけではないが、普通に考えると、大きな資金を使って事業をやろうと思ったら、やり方はおそらく二つしかない。例えば1000億円くらいの事業を想像してみる。iPhoneをつくったアップルは偉いが、あそこの中に入っているすんごい半導体を作るにはすんごい設備投資が必要であり(半導体産業は百億、千億単位の巨額の設備を必要とする)、すんごい設備投資を可能にするためには当然金融業が発達していないといけないのである。ジョブズは天才かもしれないが、iPhone大好きなおたくな青年が、iPhoneでFacebookのデモ呼びかけ情報を見て「ウォール街をぶっこわせ」とかいうデモに反対するのは(そういう人がいるかどうか知らんが)、必ずしも筋が通っていないような気はする。

話がそれた。大きな事業をするという方法の話。一つは、国のような大きな単位で強制的に税金を集めて、国の元首が事業を行うという方法。ピラミッドも万里の長城もこうしてできた。これは王様がいけていれば、大したものができるかもしれないが、競争が働かず、現代風に言うところの事業内部のガバナンスも存在しないため、必ずしもいい事業ができるとは限らない。もうひとつの方法は、自発的に貯蓄という形で集まった世の中の余剰資金を、金融機関が事業家に融資(ないし出資)するという方法。お金持ちがせっせと自分で蓄財して自己資金で大事業をやるという方法もなくはないが、普通に考えればこれは効率が悪いことこの上無い。

このように、産業革命の大きな本質の一つが、流動資本から固定資本中心の産業への、バランスシートの内容の変化にあるとすると、金融セクターの成長が産業革命の重要な側面の一つだったと言えるはずなのだが、そういうことってちゃんと習ったことなかった。内燃機関の発明がなんちゃらとか、そういう説明を覚えるよりも、こっちの方が世の中に出て必要な知識だと思うのだが。そういう風に社会の教科書も変えた方がいいんではないんでしょうか。

経済の変化の仕方については興味があっていろいろ本を読んでいるが、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』に並ぶくらい、示唆にあふれた一冊。ダイアモンドの方が読み物として抜群におもしろいが、こちらも再読に値する一冊。

★★★★☆