イタロ・カルヴィーノ『冬の夜ひとりの旅人が』

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫)

原著1971年、翻訳1981年。2013年1月読了。
ブンガク好きの後輩に借りて読んでみた。カルヴィーノは、『宿命の交わる城』と『見えない都市』を読んだのだが、いまいちしっくりこなかった。これも心配だったが、これはちゃんと読める一品だと思う。

「あなた=男性読者」が主語で語られる物語と、その間にいくつかの小話が挟まるという仕掛けになっている。それだけだとなんだか分からないので、説明を試みてみる(難しい)。「あなた」は『冬の夜ひとりの旅人が』を読もうと思って本を開くのだが、その冒頭部は別のポーランド人作家の作品が16ページだけ紛れ込んだもので、それで「あなた」はその乱丁本を正常品に替えてもらおうと本屋に行くのだが、そのポーランド人作家の作品が気に入ってしまって、『冬の夜』でなくて、やっぱりそのポーランド人作家の本と替えてもらうことにする。ところが、本屋に渡してもらった本は、そのポーランド人作家のものとは全く別物で、しかもまた途中で白紙が混ざっている。今回の作品はどうも「チンメリア」(架空の地名のようだ)の作家の作品の断章のようだとあたりをつけて、チンメリア文学の専門家に会いに行く。それで、チンメリア文学の教授に「これこれこういう話が途中で終わってしまって続きが読みたいのだが」といって相談して、結果教授から渡される作品が、また全然読みたかった話とは違って、、、という調子で、いつになっても、「あなた」は読みたい作品に辿り着けない。あるいは、おもしろい作品の16ページ相当分だけを読んで、何らかの事象に邪魔をされて物語を読み終えることができない。その間に、「あなた」は「あなた」の女性版である「女性読者=ルドミッラ」と出会い、恋をしたりする。この恋の成行きは、全体を貫くストーリーとして展開されている。

読後は、なんだかしっくりこなかったのだが、これ書いていて原因が分かった。この「あなた」とかを主語で使っちゃうのがしっくりこなかったのだと思う。なんかこういう人称の操作って、いかにもブンガク的小細工のようで、息が詰まる。なんでも「メタ」にして、「メタ小説」(小説のことを書いた小説)、とか「メタ読者」(読者のことを読んでいる読者)、とか発生させなくてよいです。こういう手法は一時期流行りだったのだろうけど、後世に読み継がれるタイプの小説ではないね。

「男性読者」も「女性読者」もいいから、MarcoとCarlaとかにしてくれればよかったのに。そうしたらストレートに楽しめた。

★★★☆☆