勝俣誠『新・現代アフリカ入門』

新・現代アフリカ入門――人々が変える大陸 (岩波新書)

新・現代アフリカ入門――人々が変える大陸 (岩波新書)

2013年4月刊。アフリカについて勉強中で、新しいよさそうな本が出たと思ってタイトルだけ見て購入。しかし読んで後悔。著者は、なんでもかんでも「南北」問題という括りでアフリカの問題を語ろうとするが、全くもってピントがあっていないと思う。まえがきにこうある:

本書は、「南」に関する本である。アフリカ地域の専門書にとどまるものではない。「南」とは、近現代史において交易や侵略を通じて、今日の富を形成した富裕国「北」に対して、著しい格差の下に人間の尊厳が剥奪されて生きる地域を指す。(…)
しかしながら、今日でも南北問題はなくなっていない。「北」が有する資金力、技術力によって「南」の富は確実に「北」へ流れ、そこでの企業と市民の豊かさを支えているが、その逆の流れは決して同じ勢いを持っていない。


この辺でやめておくが、こういうトーンでずっと、「北」が「南」を収奪しているということを延々と書いているのだが、(1)定量的な分析がない、(2)「北」と漠然とさしているのは誰のことで、「南」とは誰のことなのかよくわからない、便利な用語を軽率に使っているだけで手抜きと言ってよい、(3)解決策らしきものを提示しているが貧弱この上ない。

解決策については、以下のように述べている。

市場原理といういわば各人の欲望を解放することによって結果として物質的な富が増大するというシナリオは、あまりに楽観的で機械論的であり、本来の開発を再起動させるためには国家の役割を再定義し、活性化するべきではないかという考え方である。(…)
求められているのは、市民の監視と参加の下で、何よりも国民の福祉やセーフティネットを持続的に拡充することを可能ならしめる国富を産む生産的投資を、中長期的開発展望に立って方向付けできる国家である。(終章より)

突っ込みどころがたくさんあるのだが、そもそも国家の体をなしていない国もあるのに、どうやって「国家の役割を再定義」するのだろう、「市民」概念も発達していないのにどうやって監視する市民ができるのだろう、短期の生活の展望も立たない生活者がどうやって中長期的投資をがんばったらできるのだろう、、、、というのが問題であって、問題に全然答えていないのである。このあとで、「知識人の役割が云々」といって、それで、答えたつもりになっているのだが、全然説得力がなく、経済主体の役割を無視して過剰に、無根拠に知識人に期待してしまうのがこの手の論の空疎なところである。