島田雅彦『退廃姉妹』

退廃姉妹 (文春文庫)

退廃姉妹 (文春文庫)

たまには小説をと思い。

相変わらず、うまい。しかし、最後にこうなげやりな感じで話をまとめてしまうところも相変わらず。もう少しねっとりを最後のエピローグとかを書くといいと思うのだけど、性格なんだろうね。

舞台は、戦後、焼け野原になった東京。戦前映画監督をしていた父は、戦後、米兵相手の娼婦の斡旋の仕事をして生活を立て直そうとしていた。その矢先、父親は「アメリカ兵の肉を食べた」というとんでもない誤解を受けて当局に連行されてしまう。残された有希子(語り手)・久美子姉妹は、やむなく、自宅を進駐軍の慰安所にして生活費を稼ぎ始める。この姉妹を中心に、街娼のお春、有希子に想いを寄せながら学徒出陣し帰国した後藤、父に「スカウト」された祥子などの人生が交差していく。と、ストーリーを紹介すると、そういうことなのだが、やはり島田のかっこいいところは、怜悧な文体だと思う。例えば空襲の東京を描いたこういうところ。

燃えさかる商店街で、呉服屋の女主人は入れ歯を落とした。丁稚の少年は重い荷物を背負わされ、火の粉をよけながら、道端にはいつくばって、主人の入れ歯を探していたという。入れ歯がなければ、物を食べるには困るだろう。でも、よりによって空襲のさなかに落とすことはない。あとで聞いたら、入れ歯はめでたく女主人の口に戻ったという。でも、あの少年は逃げ遅れて、大やけどを負い、翌日に死んでしまった。かちかち山の狸みたいに燃える荷物を背負ったまま走ったそうだ。誰も背中の火を消してやれなかったのか? どうして少年は荷物を捨てなかったのか? 入れ歯を引き換えられるほど少年の命は安かったのだろうか? ケチな女主人にあとからがみがみいわれるのがいやで、つい一生懸命になって、入れ歯を探してしまったのだろう。少年の夢は飛行兵になることだったという。燃える荷物を背負ったまま這いつくばって死んでゆく姿を想像しても、涙なんて出なかった。ただ悔しいだけ。しょせんは他人事だけど、少年が死ぬまで奴隷根性を捨てられなかったのが悔しい。
入れ歯には少年の恨みがこもっているから、さぞ噛み合わせが悪いことだろう。(p. 38)


一文一文は短いようで、鋭い。「奴隷根性」とか言って、少年を冷たく表現しているが、最後の一文で、なぜか少年が少しは救われるような気もする。