猪瀬直樹 『道路の権力』、『道路の決着』

道路の権力 (文春文庫)

道路の権力 (文春文庫)

道路の決着 (文春文庫)

道路の決着 (文春文庫)

2003年、2006年刊。

『日本国の研究』(1997年)で、日本の公共事業、特殊法人の問題点を暴きだした著者は、政府関係者や政治家の注目を集めるようになり、2001年小泉内閣で行革断行評議会という諮問機関の委員となる。ここで議論されたことを踏まえ、道路公団民営化が政治スケジュールにのぼっていき、2002年に道路公団民営化委員会が発足し、その委員にも就任する。『道路の権力』は、行革断行評議会での議論から、委員会としての最終答申を2002年末に提出するまでの経緯を克明に描いた記録である。続編の『道路の決着』は、『道路の権力』で描かれなかった最終答申までの内幕と、答申がどのように実行に移されていったか(あるいは移されなかったか)を記録している。

『道路の権力』では、道路公団藤井総裁(当時)、自民党関係者(古賀誠、橋本龍太郎、野中広務、亀井静香、鈴木宗男、等)、民営化委員・事務局それぞれの思惑が描かれている。自民党道路族や道路公団の意向はある意味分かりやすく、へー、という程度であったが、民営化委員の思惑・意見の食い違いが大変興味深い。日本を代表する有識者が集まって、それなりにきちんと議論をしているのだが、うまくまとまらず、この手の委員会では異例の展開で、答申案に反対する議長と反対派もう一名が辞任して、残りの委員で答申を決議するということになった。委員は、今井(新日鐵会長)、松田昌士(JR東日本会長)、中村英雄(武蔵工大教授、土木業界権威)、田中一昭(拓殖大教授、国鉄民営化事務方を務めた元官僚)、川本裕子(マッキンゼー)、大宅映子(ジャーナリスト)、と猪瀬の7名である。今井、中村は建設推進派、残りは慎重派と分けられるが、慎重派の中でも若干アプローチが違って、議論が混乱する。詳細には立ち入らないし、結局猪瀬以外の各委員が何を考えていたのか、よく分からない。あまりによく分からないので、田中、川本が民営化委員の体験を述べた本も読んでみたが、川本は経営組織としてきちんとした民営会社をつくると言う観点で発言していて、言っていることはまとも。田中の方は、下らないメンツにこだわった俗物で、彼の著書は読むに堪えない。これは別途どこかでレビューを書きたい。今井、松田の思惑については発表された本人たちの書きものを読んでないので(あるのかもしれないけど)結局よく分からない。

『道路の決着』を読むと、議論の混乱の一端がもう少し分かる。今井・中村 VS 残り5名という構図になった委員は、5名で集まって今井・中村(特に今井)の懐柔を図るが、結局、松田が今井に寄り添いたくないということで、7名全員での答申が出来なかったという。本書によると、「新日鐵とJRでは社格が違うという態度を今井委員長がとりつづけたこと」にわだかまりがあったと。それにやや信じがたいことだが、松田にはしじゅう二人のJR職員がつきそっていて、JRの意向を松田に吹き込んで代弁させていた。そんなんでよろしいのか。このあたりが、本書のクライマックス。しかし、本書にさらっと書いてあるが、これだけ議論して、報酬が30万円だったと。委員たちは本当に何か、「メンツ」的なものを抱えて議論していたのだと察せられる。加えて、実際に行われた民営化の内容、その後の道路公団内のスキャンダルなどを本書では描いている。

そもそもだが、国には道路特定財源が5兆円以上あり、道路はこれを原資として作るものだった。これは今でも特定の財源として国道・地方道の整備に(無駄に)使われている。これでは道路建設ペースが遅いということで、有料の高速道路がつくられることになった。有料高速道路は、当初本当に必要とされているものが作られ、例えば東名などはきちんと黒字を出して建設資金を賄っている。しかし、次第に高速道路を作ること自体が自己目的化して、赤字路線がたくさん作られて、黒字路線の収益を食いつぶす構造ができあがった。しかも、建設路線を決定する機関(国土開発幹線道路建設会議、国会議員と有識者で成る)は何兆円もの投資を決めるのに、数年に一回しか開かれず、議論も2時間程度で終わる。こういうことを繰り返して道路公団の借金は20兆円以上に膨らんだ。このため、いつになっても東名高速も無料にならない。道路特定財源も、一般財源化されない。ひとことでいうと、当初のプランが暴走して肥大化して歯止めが利かなくなっている。カタカナで言うと、全くガバナンスが利かなくなっている。

著者はこの状況を戦中の軍部の暴走と対比している。
司馬遼太郎の、大正期の小説論を踏まえて以下のように『権力』の終章で書いている(かっこないは司馬の論)。

「私小説の現実感覚は、社会や国家に対して現実という場からの凄みを利かせるというふうにはならず」拡がりをもたない。日本には「国家や社会に怖れを感じさせるようなどすのきいたリアリズム」は育たなかった。作家が狭い世界にとどまっても、なんら関係なく都市はさらに求心力を増すし産業化は進んでいくわけでそれにより構成される世界は、よりとらえがたくなるばかりであった。軍事力も強大になった。
言論の表現者がリアリズムを理解しなかったのは致命的だった。「日本の知識人の教養に、軍事知識という課目がなかった」ことが大きかった。軍事費は国家予算のかなりの部分を占めているのだから、納税者であれば関心をもつのがあたりまえだが、「軍事という具体性のなかから、内外を見ようとしなかった」のである。「明治・大正のインテリが軍事を別世界のことだと思いこんできたのが、昭和になって軍部の独走」を招いた。
「軍事知識」を、現代ならば「肥大化した官僚システム」と置き換えてよい。あの時代においては軍部こそが最大の官僚組織であったのだ。特務機関が大陸で謀略事件を起こすが、それは官僚機構の制御機能が低下した現象のひとつともいえた。チェックできない機密費が増えていった。ここまで述べれば察しのよい読者は理解してくれる。道路公団はかなり前に独走をはじめていたのだ。予算ならまだ国会の審議の対象だが、国営企業の財務の実態は把握できなかった。

知識人への期待感という点も含めて、司馬の指摘は妥当だと思うし、猪瀬の対比も的確だと思う。なぜ、日本でこういう暴走機関が生まれるのか、この対比はたまたまなのか、他の国でもこういうことは起こっているのか、そういうところに興味がある。猪瀬は暫く都知事の仕事をするはずだが、文筆業に戻ったらそういう考察を続けてほしいと思う。