猪瀬直樹『日本国の研究』

日本国の研究 (文春文庫)

日本国の研究 (文春文庫)

1997年刊、2012年読了。
あれよあれよという間に都知事になりました。
猪瀬直樹の著作は結構好きで、『ミカドの肖像』(レビューはこれ http://d.hatena.ne.jp/daikarasawa/20101101/1288609219 )、『昭和16年夏の敗戦』(レビューはこちら http://d.hatena.ne.jp/daikarasawa/20120403/1333459580 )、なんかも結構おもしろかったが、今の政治家としての彼を作ったのはこの三部作ですね。別に三部作と呼ばれているかは分からないが、明らかに同じテーマを扱っていて、続けて読むと彼の問題意識のあり方がよく分かる。

『日本国の研究』はもともと文藝春秋に連載されていたそうで、立花隆の「田中角栄研究」を意識したそうだ。その後著者は道路問題にコミットしていくことになるが、ここではより広範に、公共事業・特殊法人問題全般について調べて書いていて、住宅・都市整備公団事業、国有林事業、長良川河口堰事業などについて触れている。ちょうど日本の国債残高がものすごい勢いで増えていた時期で、「なぜこんなに増えるのか」「どういう仕組みで使い道が決められているのか」というごくまっとうな関心から書かれている。「文庫本へのあとがき」で著者はこう書いている。

行財政改革は、わかりにくい。僕自身、本書のために元官僚、学者、評論家などのテキストを参考にしようとしたが、ほとんど役立たなかった。未だ発見されていない暗黒大陸についての地図は存在しない、ということなのである。
そこでまず当局が公開しているデータに素直に向かいあうことにした。省庁も特殊法人も、とりあえずは刊行物を出している。しかし、出されているデータを分析してみてもスッと頭に入って来ない。故意にわかりにくくしているのではないかと怪しんだ。
そこで省庁に出向いてわからない部分を、わかるまで訊くことにした。何時間でも質問した。彼らが説明不能になっても、さらに訊いた。すると自身にもわかっていないことがあり、その説明のために彼らが資料を捜し出さねばならぬ羽目に陥るのだった。それで説明が済めばよい。だがもうひとつのわかりにくさの根源は、データに詐術が仕込まれていることにあるのだ。

訊かれている方はたまらないだろうが、正攻法で取材をしていて、好感がもてる。どうでもいいが、上杉隆とかはこういうことをしているのだろうか。

本書を読むと分かるが、いろいろなデータを分析してスッとわかるようになっていないのは、様々な事業の建前と実態が大きく乖離しているからだ。建前として、地域活性、治水、林野保護、住宅供給、独立採算、とかもろもろ看板を掲げた事業の実態が、要は組織・事業の維持と、赤字につけかえでしかないことを、著者は暴いていく。赤字の規模もむちゃくちゃなのだが(国有林野特別会計3兆3千億、道路公団22兆円、等々)、つけかえのシステムもむちゃくちゃである。つけられる先は、巨大な「社会主義金融」と呼ばれる財政投融資で、これは税金ではないが、郵貯などの資金、本書刊行当時で累積450兆円、年間50兆円を、大蔵省理財局が投融資方針を決定しているものである。こういう規模のお金が、国会で議論されずに「運用」されてよいのであろうか。普通のサラリーマンの感覚だと、億単位の金を動かすにも、結構な努力・根回し・費用便益分析が必要で、ごく稀にもっと大きな金額を投資家から預かって少人数で投資運用しているファンドマネージャーたちもいるが、彼らはキャリアと名声を背負って仕事をしていて、厳密にパフォーマンスで仕事ぶりを評価される。ときに仕事を失う。本書で描かれている世界では、そういうファンドの世界を超える兆単位の金額が動いているが、そこには全く緊張感がない。しがらみと、コネとでけっこうなものごとが決まる、ゆるい、ぬるぬるのぬるま湯の世界である。こんなんでいいのか。
と、誰でも思うだろうが、著者もそう考えて、この分野に深入りして行くことになるのである。