沢木耕太郎 『敗れざる者たち』

敗れざる者たち (文春文庫)

敗れざる者たち (文春文庫)

沢木耕太郎『敗れざる者たち』読了。これは名作だと思った。≪"燃えつきる" --- この言葉には恐ろしいほどの魔力がある。正義のためでもなく、国家のためでもなく、金のためでもなく、燃えつきるためだけに燃えつきることの至難さと、それへの憧憬。あらゆる自己犠牲から、あとうかぎり遠いところにある自己放棄。≫ (p. 56) というテーマの短編が6つ。
沢木も言及しているが、同じテーマで、例えば燃えつきる海の男を『老人と海』で書いたのがヘミングウェイだった(そのルーツは『白鯨』だったりするのだろう)。日本だと、『走れメロス』とか、『坊ちゃん』とか。燃えつきたかったけど不完全に終わる悲哀を書いたのがフィッツジェラルドの『ギャッツビー』なんだろう。本作は、そういう、作家が惹かれる伝統的なテーマについて、直球で挑んで、見事に読ませる一冊になっていると思う。

斎藤貴男 『ルポ 改憲潮流』

ルポ 改憲潮流 (岩波新書)

ルポ 改憲潮流 (岩波新書)

(昔書いたアマゾンに書いたレビューの転載)。

                                                                              • -

改憲を論じる上ではいろいろな切り口がある。すごくざっくり言うと、九条は平和精神から死守しなければならない、という精神論と、アメリカ主導の国際社会で責任を全うせねばならない、という現実論がせめぎあっている。本書は、あまりそういう(泥沼になりかねない)論点から一歩離れ、監視社会の成立(ビラを撒いただけで逮捕)、ジャーナリズムの機能停止(監視社会を煽るのみ)、無責任極まりない日本の政治状況(二世議員が多いせいか政治家が当事者意識を欠いている)などの背景を丹念に拾ってつづっているところが優れている。

読んでいて一番腹がたったのは、改憲派の政治家の考え方について述べた箇所で引用されている伊藤信太郎衆議院議員の発言の引用。

<[…] 多くの国民は自由を求めているようでいながら、実は自由から逃れたいと密かに思っている。この国の国民はこういうふうにものを考えれば幸せになれるんですよというようなことをおおまかな国のなかで規定して欲しいというのは、潜在的にマジョリティの国民が持っている願望ではないか。>(本書 p. 54、自民党憲法調査会のなかでの発言から)

こういう人物に幸せを規定してもらいたくない。

小野善康『成熟社会の経済学』

成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか (岩波新書)

成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか (岩波新書)

反リフレ派の軸の一つを作っている方ですね。菅直人のブレーンだったという。ひとつどんな主張なのかと思って、平積みになっていたのを購入。初版は2012年1月。

ものすごーく単純化して言うと、「成熟社会」においては、ケインズ的処方箋やリフレ派の処方箋は役に立たず、新しい考え方に基づいた「増税と公共事業」が必要だという主張。以下、メモ的に引用:

「成熟社会とは?」

(過去の経済学が積み重ねてきた議論に触れたうえで) しかし、伝統的な経済学の仮定が現実的でないならば、そのあとの証明がいくら厳密であっても、企業の効率化や市場原理の貫徹がいいとは言えなくなります。
成熟社会の経済学では、その非現実性が貨幣の役割を軽視することからきていると考えます。生産力がまだ十分でなかった発展途上社会ではそれも現実的でしたが、物やサービスが満ち足りた成熟社会では、お金への欲望が相対的に強まってくる。そのとき、これまでの経済学が否定している長期不況が生まれてきます。そうであれば個別企業や政府の効率化を行っても、人々が働けなくなるだけで、効用は高まりません。(p. 40)

はたしてそうだろうか。「お金への欲望」も相対的なもので、「今はデフレだから」と言って日本人が買い控えをしていただけでは。アメリカでの消費の旺盛さはなんなのか。アメリカは「成熟社会」でないのか(そうだ、と言われるとなかなかおもしろいが)。

「なぜ公共事業か? どうやって雇用を確保するのか?」

民間だけでは労働力を十分に使ってくれない。それを放置して何もしなければ、まるまる労働力が無駄になるから、経済全体で考えれば効率は最悪だ。それなら、たとえ採算が取れなくても政府が雇用を作った方がよい。(…)
こうやって政府が雇用を作れば、雇用不安やデフレが減って消費意欲を刺激するから、経済はさらに拡大します。そのとき雇用を作る場所が、介護や保育、観光や健康など、国民生活の質を上げる分野なら、経済の拡大とは別に、国民はそれらの便益を直接享受できます。さらに、環境や新エネルギーなどの新分野なら、それこそ本当に将来の成長分野になるかもしれません。これが成熟社会で必要な成長戦略です。(pp. 89-90)

国主導で成長戦略を作ると言うのは無理があるようには思うが、公共事業についてはそうなんだろう。

「なぜ増税か?」

結局、国債発行とは、増税という政治的には難しいことを先延ばしにするだけのために、すでに発行されている国債を信用不安に陥れる危険性のある政策です。だからこそ、巨額の国債が積み上がって信用維持が懸念されているいまは、むしろ増税の方がいいのです。そもそも物が売れず労働力も余った状態を放置していれば、人びとはデフレと雇用不安に悩まされ、国債や貨幣などの金融資産を増やしても、物やサービスの購入には向かいません。それなら、国債も貨幣の場合と同様に、現在の信用を維持することに重点をおくべきです。その上で、税金で集めた資金をもとに財政支出によって需要を作り、雇用を増やしてデフレと雇用不安を取り除けば、消費を刺激することができます。(p. 121)

ここ、一番重要なところだと思うのだけど、増税⇒財政支出⇒需要創出/雇用増大⇒デフレ脱却⇒消費刺激、という経路を想定しているのだけれども、増税したら税金払う分消費は減らされる可能性があるので、「需要創出」にはあまりならないのではないかと。やっぱり、デフレ脱却を重視して、デフレ脱却⇒需要創出、というルートを想定する方が正しいという気はする。

これを読んでよく分かったが、基本的に(当たり前かもしれないが)、デフレ/失業/消費低迷/国債の積み上がり、が解決する課題であるという認識はリフレ派と共通している。実はこういう課題認識を共有せず、「デフレはよい」という人もいなくはない。

で、小野理論は、まず、公共投資を通じた失業の解消からやろう、国債はもう出せないので増税してやろう、とする。しかし、こういうルートで経済が回復するとは到底思えないんだよね。いろいろ読む中では、やっぱり岩田規久男や片岡剛士の本により説得力があって、デフレ(と円高!!)が経済低迷の最大の原因なのだと思う。そこに全然焦点をあてていない解決策はやはりよろしくないのではないかと。

伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』

ゴールデンスランバー (新潮文庫)

ゴールデンスランバー (新潮文庫)

なんというか、もう、一つのジャンルとして、確立しているね。安心して読める作家です。軽い文体と、軽快に進むストーリーと、見事に回収される伏線と。伏線を回収するのが面倒になって、本作では若干手抜きをしたと語っているようだが(木村俊介による解説)、全然そんなことはない。

ストーリーは、国家権力(これが陰謀史観的イメージで描かれすぎで突っ込みどころ満載ではあるが、そういうところの緻密さには別に期待していないので全然良い)によって重大犯罪事件の犯人に仕立て上げられた青年が、警察機構の眼をかいくぐって、昔の別れた恋人の助けも借りながら、逃げのびていくという話。この昔の恋人との距離の描き方が絶妙である。もどかしいという人もいるかもしれないし、男も女も昔の恋人に思い入れありすぎでしょ、という人もいるかもしれないが、個人的にはこういう甘酸っぱさがツボである。甘すぎず、冷たすぎない感じが伊坂作品の心地よいところである。

島田雅彦『退廃姉妹』

退廃姉妹 (文春文庫)

退廃姉妹 (文春文庫)

たまには小説をと思い。

相変わらず、うまい。しかし、最後にこうなげやりな感じで話をまとめてしまうところも相変わらず。もう少しねっとりを最後のエピローグとかを書くといいと思うのだけど、性格なんだろうね。

舞台は、戦後、焼け野原になった東京。戦前映画監督をしていた父は、戦後、米兵相手の娼婦の斡旋の仕事をして生活を立て直そうとしていた。その矢先、父親は「アメリカ兵の肉を食べた」というとんでもない誤解を受けて当局に連行されてしまう。残された有希子(語り手)・久美子姉妹は、やむなく、自宅を進駐軍の慰安所にして生活費を稼ぎ始める。この姉妹を中心に、街娼のお春、有希子に想いを寄せながら学徒出陣し帰国した後藤、父に「スカウト」された祥子などの人生が交差していく。と、ストーリーを紹介すると、そういうことなのだが、やはり島田のかっこいいところは、怜悧な文体だと思う。例えば空襲の東京を描いたこういうところ。

燃えさかる商店街で、呉服屋の女主人は入れ歯を落とした。丁稚の少年は重い荷物を背負わされ、火の粉をよけながら、道端にはいつくばって、主人の入れ歯を探していたという。入れ歯がなければ、物を食べるには困るだろう。でも、よりによって空襲のさなかに落とすことはない。あとで聞いたら、入れ歯はめでたく女主人の口に戻ったという。でも、あの少年は逃げ遅れて、大やけどを負い、翌日に死んでしまった。かちかち山の狸みたいに燃える荷物を背負ったまま走ったそうだ。誰も背中の火を消してやれなかったのか? どうして少年は荷物を捨てなかったのか? 入れ歯を引き換えられるほど少年の命は安かったのだろうか? ケチな女主人にあとからがみがみいわれるのがいやで、つい一生懸命になって、入れ歯を探してしまったのだろう。少年の夢は飛行兵になることだったという。燃える荷物を背負ったまま這いつくばって死んでゆく姿を想像しても、涙なんて出なかった。ただ悔しいだけ。しょせんは他人事だけど、少年が死ぬまで奴隷根性を捨てられなかったのが悔しい。
入れ歯には少年の恨みがこもっているから、さぞ噛み合わせが悪いことだろう。(p. 38)


一文一文は短いようで、鋭い。「奴隷根性」とか言って、少年を冷たく表現しているが、最後の一文で、なぜか少年が少しは救われるような気もする。

松下文洋『道路の経済学』

2005年刊。

道路の経済学 (講談社現代新書)

道路の経済学 (講談社現代新書)

以前レビューした(http://d.hatena.ne.jp/daikarasawa/20130408/1365423794)、服部圭郎『道路整備事業の大罪』なんかとテーマは似ていて、道路行政の非効率についてアカデミックに検証した一冊。著者は不動産鑑定士。安心して読める一冊。
以下、メモ。

  • (当時)アクアラインを利用する自動車のうち、トラックは2-3%程度(料金が高すぎるため)。通常の国道や高速道路では10-25%。これが首都高湾岸線、京葉道路に流れて、そちらの大気汚染と渋滞を起こす。というか、渋滞解消になっていない。
  • 経済にも貢献していない。もともとアクアライン開通で木更津側に10万人規模の人口増加を見込んでいたが、ぜんぜん人は集まらず、地価もピーク(92年)と比較し2005年は14分の1。同期間に新宿区は3分の1なので(これもひどいが、、)、木更津の落ち込み具合が分かる。
  • ロンドンのM25環状高速道路(全長180キロ、6車線)の建設費は2300億円、1キロ・車線あたり2.1億円。日本の圏央道(半径40キロ、全長230キロ、4車線)の建設費は4兆円程度。1キロ・車線あたり43.5憶円。ロンドン環状の20倍。さらに首都高中央環状線は1キロ当たり1000億円、1キロ・車線あたり250億円。
  • イギリスの都市では2005年に、混雑時に中心部に入る車は一定の税金を徴収されることになった。ただしこれは自己申告での支払いである。これで交通量が減るのかという懸念もあったが、乗用車の交通量は25%程度減少した。

(メモ終わり)

清水草一『高速道路の謎』

高速道路の謎 (扶桑社新書)

高速道路の謎 (扶桑社新書)

紹介文によれば、著者は高速道路ウォッチをライフワークにしているモータージャーナリストだそうで。他の高速道路に関する本は、都市計画とか道路行政とかそういう観点で書かれているのが多い(目立つ)ので、高速道路の使い勝手について徹底的に調査している本書はかなり新鮮だった。どういう箇所でなぜ渋滞が発生しているか、これを読むと分かるし、追加の整備の必要があることも分かる。わざわざ、渋滞の発生しているところに出向いていって、どういうひどい渋滞なのか体感してレポートしてくれるこういう奇特な人がいるのはありがたいことだと思う。ということで、へー、という程度で三ツ星でもよいのだが、奇特なまでのまじめなレポートぶりを評価して星四つ。